私は幼少の頃に多少舞台に立った経験がありますが、一般的な能楽師の子供として育ったわけではございません。
19歳で林先生の門をたたき、27歳で独立、そして今年10周年を迎えました。
内弟子に入りました頃は日々の忙しさ、また覚えることの多さに圧倒され能を楽しむというようなことはありませんでした。
能の魅力を感じ始めたのは内弟子も後半に入る頃にある舞台を見てからでした。
その舞台には確かに風景が広がり、匂いまで感じるような舞台でした。
それまで能とは決められた型を決められたとおりに舞う・・・そんな風に思っていましたが
(確かに決めれたことを決められたとおりするんですが)無限の自由を感じたのです。
簡単に言えばオリジナルではないがカバー曲でもその人の表現方法がでる、そんな感じです。
それから能が面白くなりました。
能は古典ではあります、しかし演者は現代人。楽屋ではスマートフォンを使ったり、ツイッターでつぶやいたり・・・
では演者の視線の先には何が見えてるのでしょうか?
600年前に出来た能、現代の演者は600年前の風景は見えません。
例えば海岸、600年前の海岸は今の海岸と違うと思いませんか?
今の海岸しか見たことがない演者とお客さん、そこには600年の歴史はなく共通の風景として見えますよね、そこが今も生きつづける理由だと思います。
また、そこが能の一番自由な部分。つまり演者は自由な思いや風景を想像しながら舞います、それは意外と「もっと制約して欲しい」と思うくらい自由なんです。
しかし、「こんな風景を想像してるのかな?」って思いながら見れるお客さんってなかなかいません。
想像力って力がつくくらいなので鍛えないといけないんです。
想像力鍛えてますか?
みんなで鍛えましょう。そんなお手伝いが出来たらと思い、能を舞う前にはお話をするようにしています、「ここでこんなこと想像してください」って言われたら想像できますよね。
一時間フルに想像しようと思ってもなかなか出来ないと思います。
ここ!!って所を想像しながら見てるとだんだん鍛えられて能の世界に入り込めるようになると思います。
能はこんなに楽しいんだ、こんなにドキドキするんだ、そんなことを伝えていけたらと思っています。